浦和レッズユース監督の堀氏の就任を発表した。
今年は、レッズに関するコメントは極力控えてきたが、一言書いておきたい。
ペトロビッチ監督解任と言う発表だけ見ると、ペトロビッチ監督が監督としての能力が無いので、
解任と言うように見えてしまう。
確かに、際立った成果を上げていないことは事実である。
しかし別の視点で見てみると、そんなに簡単な問題ではないように見えてくる。
ちょっと、浦和レッズの歴史を振り返ってみると、
2000年にJ2へ陥落し、約束通り、1年で戻ってきた。
その後、順調に力を付けて、2007年にAFCチャンピオンズリーグでチャンピオンに輝いた。
しかしその後の数年間は、オジェック→エンゲルス→フィンケ→ペトロビッチ→堀氏 と、
日替わりならぬ、毎年監督が交代する事態となっている。
これは何を意味しているのだろうか。
見落としてはならない点が、浦和レッズのこの10年の歩みである、
2001年J1返り咲き後、2002年からギド・ブッフバルトとテクニカルアドバイザー契約を行い、
2004年にギド・ブッフバルトが監督に就任し、初のステージ優勝、
2005年天皇杯優勝、2006年リーグ優勝、天皇杯連覇を成し遂げた。
残念ながら、家庭の事情でドイツへ帰国せざるを得ず、退任してしまう。
AFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得するとともに、
確かなチーム力を構築したのは、明らかにギドの功績であり、
ギドが成果をもたらせたのは、選手時代、アドバイザー時代と長期に渡り、
浦和レッズサッカーの方向性をチーム全体で培ってきたからではないだろうか。
その基礎があるので、就任一年目のオジェックでAFCのタイトルを取れたとも言えなくは無い。
その後オジェックも、翌年、2試合限りで解任され、1年限りの監督となる。
次のエンゲルスも、このシーズンの最後に解任となり、1年限りの監督だった。
エンゲルスの後を受けたフィンケは、2009年、2010年と務めるも、やはり
成績低迷を理由に解任。
そして、2011年ペトロビッチ監督就任後、またしても1年もたずに解任となってしまった。
フロントへと目を向けると2002年からの犬飼体制が2006年10月に終了している。
2006年10月〜2009年3月藤口体制、オジェック監督解任に端を発したクラブの成績不振の責任で退任。
2009年4月〜現在の橋本体制となっている。
なぜか、チームの成績と大きく連動していることがわかる。
Jのお荷物と言われ、万年最下位のレッズが、J2へ降格しながら、一年で戻ってきて、
その後の6年間でAFCのチャンピオンとなった。
現在のフロントは、何か勘違いをしているのではないだろうか?
結果だけを追い求めて、監督だけを代えれば、バラ色の成果が得られるわけ無いだろう。
上っ面をなめるような人事を行う、フロントがこの4年間に起きていることの原因ではないだろうか。
万年最下位から、AFCチャンピオンに輝く過程では、サポーター、選手、監督、コーチ、フロント、全てが、
レッズを強くするんだという共通の思いがあり、責任とかそんなことはだれも思わなかったように思う。
タイトルを取ってしまった、代償なのだろうか?
それなら、いっそ、もう一度J2へ落ちて、一致団結する方が、レッズファンとしては嬉しいのだが・・・・
でも、二度とJ2なんかへは落ちて欲しくない。
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